DMedical契約トレーナー:井澤秀典さんが、スポーツメディカルを中心にトレーナー活動の中で経験してきたことや日頃感じていることなどを綴っていきます。
スポーツの現場に携わる方やスポーツを楽しむ方々に参考にしていただける内容を毎月お届けいたします。
テーマ 『私がアスレティックトレーナーになった理由』(後編)
第3回目のブログでは、私がアスレティックトレーナーを目指し、大学進学に至ったいきさつをお話しさせていただきました。 今回は、大学卒業後のアスレティックトレーナー資格取得までをお話ししていきたいと思います。
■アスレティックトレーナーの資格とは
日本のアスレティックトレーナーの資格はというと、1994年に日本体育協会(現:日本スポーツ協会)が公認アスレティックトレーナー制度をつくり、30年が経過しようとしているところです。
この30年で、約5,000名の公認アスレティックトレーナー(以下 JSPO-AT)が登録をしており、様々なスポーツの現場で活躍されています。
この制度は、公的な資格ではありませんが、日本の中央競技団体および各都道府県の体育協会を統括する団体である、公益財団法人日本スポーツ協会の認定資格であり、現状から考えるとスタンダードな資格であると言えます。
■アスレティックトレーナーの資格取得のために
私は大学卒業と同時に運よく社会人アメリカンフットボールチームのトレーナーとして仕事を始め、トレーナーとしてのキャリアをスタートさせました。
実は私の大学卒業年に、前述のようなアスレティックトレーナーの資格制度ができ、スポーツ現場で仕事をする以上、まずはこの資格を取得したいと思っていましたが、その道のりはとても遠いものでした。
当時、JSPO-ATのアスレティックトレーナー資格取得のためには養成講習会を受講するという方法がありました。というよりも、むしろこの方法しかありませんでした・・・。
ところがこの養成講習会を受講するためのハードルはかなり高く、受講する年の4月1日現在、満20歳以上の者で、JSPO、JSPO加盟団体(都道府県体育・スポーツ協会、中央競技団体等)及びJSPOが特に認める国内統轄競技団体から推薦され、受講者選考基準を満たす者とされています。(日本スポーツ協会HPより引用)
1994・1995年度については、日本体育協会加盟団体やプロスポーツなどにおいて、すでにトレーナーとして活動している人で、「加盟団体などが推薦する人」を対象に特別講習会として養成事業が実施され、合計3回の特別講習会を経て271 名がアスレティッ クトレーナーとして認定されました。
その後 1996年度より正規のアスレティックトレーナー養成講習会(養成コース)が実施されました。これは2年間かけて共通科目と専門科目の講習を受講し、それぞれ検定試験を受験するもので、受講者数は「80 名」に限定され、定員80 名に対し倍以上の申込みがあることから、日本体育協会では、次のような条件を加味し受講者の選定をしていました。
・トレーナーとしての活動実績
・推薦団体とのかかわり(団体内でのトレーナーとしての活動実績)
・受講希望者の保有資格
・トレーナーに関する研修会・セミナーなどの参加実績
・推薦団体における活用の義務づけ
つまり、前述した条件を満たしていても、上記の5つの条件をある程度クリアしていなければ、受講できないという狭き門なのでした。
私も例に漏れず、推薦をもらうために何年か待つことになります。各競技団体、各都道府県体協の推薦枠は決まっているので、順番を待つしかない状況でした。
■どうする?井澤
「ただ待つだけ」では、何事も始まりません。私は、まず始めに自分が住んでいる千葉県体育協会に電話をして推薦をもらえないか問い合わせをしてみました。
何の情報もない、インターネットもない時代でしたので、直接問い合わせるのが一番早い方法でした。
あとでわかったことは、推薦をもらうにもある程度の人脈が必要なのだということでした。
千葉県体育協会の推薦枠は1名・・・。誰を推薦するのか?誰からの推薦なのか?
馬鹿正直に「推薦して下さい!」と正面から言ったところで、なかなか上手くは行きません。いわゆる大人の事情を知ることになりました・・・。
あのまま千葉県協会推薦を待っていたらどうなっていたか・・・。それくらい「人脈」「パイプ」って重要なのだと身に染みて感じました。
その後、バレーボールチームからトレーナーのオファーを頂きました。そのチームは国内リーグのトップカテゴリーに属しており、その関係で、バレーボール協会のトレーナー関連担当の方に、直接推薦をお願いできる機会を頂きました。
やはり、所属するカテゴリーは重要で、サッカーであればJリーグ、バスケットボールであればBリーグ等、所属しているチームによって情報が伝わりやすいという事もあると感じました。
現代は情報化社会、いかに情報をキャッチするか、いつでもアンテナを張り巡らせておくことが非常に重要である事は言うまでもありません。
そしてようやく、大学卒業後から8年かかって2002年に推薦を頂くことができました。
当時バレーボールチームに所属をしていた関係で、日本バレーボール協会から養成講習会受講の推薦を頂くことができたのです。
■養成講習会にて
養成講習会を受講して2年目の最後に試験があります。その試験に合格しないと公認ATになれないわけですが、初めての試験は、実技検定を一つ落としてしまいました。
当時の実技試験は4つのカテゴリーに分かれており、それぞれのカテゴリーに合否がつけられるというものです。そのうちの一つのカテゴリー(ストレッチ)は、2年連続で落とすことに・・・。
3年目でようやく合格を頂くことができ、晴れて日本体育協会公認アスレティックトレーナーになることができました。
ちなみに、養成講習会を受講した同期の仲間で、初年度に合格した人は、私が記憶している限り4名程しかいませんでした。(80名中の4名)合格率:5%。
それくらい超難関の資格試験でした。
その後、登録料を支払い、翌年の10月に認定されるというシステムになっており、これは今でも変わっていません。
2年間の養成講習会では、様々な競技に関わっているトレーナーの方々と交流を深めることができ、その時の方々とは今でも交流は続いていて私の財産となっています。
「人脈」は、どの世界においても非常に重要なファクターです。この人脈によって、私は生かされているといっても過言ではありません。
※参考文献:公認アスレティックトレーナー専門科目テキスト①
(次回は、「日本のアスレティックトレーナーの現状」についてお話ししたいと思います。つづく)
<<<2023.3.2 #2「私がアスレティックトレーナーになった理由」(前編)
<<<2023.4.4 #3「私がアスレティックトレーナーになった理由」(中編)